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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)943号 判決

控訴人

横須賀企業株式会社

右代表者

金子靖夫

右訴訟代理人

関根栄郷

外一名

被控訴人

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

渡辺等

〈外二名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人主張の請求原因一の事実は、期間の約定及び一時使用の賃貸借の点を除いて当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、本件賃貸借の目的となつた物件(別紙物件目録(一)記載の土地・建物=本件土地・建物、同目録(二)記載の動産=本件動産)は当時の占領軍である米軍から賠償指定を受けた旧第一海軍技術廠の土地・建物及び機械であつて、いつ米軍に接収されるかわからない被控訴人(関東財務局)管理の財産であつたため、その貸付にあたつては、一部動産について始期の例外はあるにしても、当初は昭和二二年七月一日から昭和二四年三月三一日までを期限とし、その後昭和二四年から昭和二九年までは毎年四月一日から翌年三月三一日までの一年を使用期間とする貸付申請書を控訴会社が被控訴人に提出し、被控訴人がこれを認可して一時使用認可書を控訴会社に交付する形式で契約の締結が行なわれていた事実を認めることができ、この認定を動かすに足りる証拠はない。従つて、本件賃貸借は一部動産についての始期の例外は別として、最初は昭和二二年七月一日から昭和二四年三月三一日までを期間とし、その後は毎年四月一日から翌年三月三一日までの一年を期間と定めて合意更新した一時使用のための賃貸借契約であると認めるほかはない。そして、右賃貸借は、右のように一時使用の目的のものであることが明らかであるから、借地法一一条及び借家法六条の規定を潜脱した契約ということもできず、その旨の控訴人の各主張は採用することができない。

二本件動産のうち1ないし9が昭和二三年八月一二日、10ないし33が同年九月三〇日、34ないし48が昭和二四年七月二六日、49ないし51が昭和二五年七月二一日、62が同年六月三〇日、63が同年三月一七日にそれぞれ合意返還された事実は当事者間に争いがない。

また、被控訴人が控訴会社に対し本件土地・建物についての賃料を別紙第二表(1)(ただし、7を除いた1ないし6)のとおり、本件動産についての賃料を別紙第三表(1)(ただし、7を除く1ないし6、8ないし11)のとおり右各表記載の納入告知書発行年月日に同記載の納期までに支払うようそれぞれ右納入告知書をもつて請求したことは控訴人において明らかに争わないところであり、被控訴人の右賃料の請求に対し控訴会社が昭和二四年一一月二一日本件土地・建物についての昭和二二年七月一日から昭和二四年三月三一日までの賃料金七万〇、〇六五円九四銭(別紙第二表(1)の1)を支払い、その後昭和二八年一二月二二日本件土地・建物についての昭和二四年四月一日から昭和二五年三月三一日までの賃料金一〇万六、三九三円〇八銭(同表(1)の2)と昭和二五年四月一日から昭和二六年三月三一日までの賃料金九万〇、二七一円(同表(1)の3)、並びに本件動産に対する昭和二二年九月一日から昭和二四年三月三一日までの賃料金一三万七、〇八五円一六銭(別紙第三表(1)の1)のうち金一〇万三、三三五円九二銭計金三〇万円を支払つたことは当事者間に争いがない。

なお、被控訴人が控訴会社に支払を求めた右賃料額は、控訴会社に賃貸した建物内に賠償機械類が保管・格納されていて控訴会社が建物の一部を使用できない部分があつたため、別紙第一表のとおり、昭和二六年四月一日から昭和二八年三月三一日まではM一一二、M一〇三、M一一一A、M一一一Bの各建物につきその使用不能部分の坪数に応じて減額し、昭和二八年四月一日以降は右M一一一Bの建物のみが使用不能であるとして同様減額したものであることは前掲甲第一ないし四号証を弁論の全趣旨に照らして明らかである。

控訴人は、被控訴人の請求する賃料は合意に基づくものでないと争うけれども、当事者間に争いのない前示請求原因一の(二)によれば、控訴会社は被控訴人との間で賃料を被控訴人の定めるところによる旨約定したというのであつて、その金額の算定を被控訴人に一任し、それによつて賃料を支払うとの合意をしたものであるから、その額が不当に高額でない限り、これに依るべきものと解すべきところ、〈証拠〉によれば、前記賃料はいずれも大蔵省関係部局の通達・通牒・告示に基づいて算出されたものであつて、その金額が不当に高額であると判断すべき証拠はないので、被控訴人の右賃料の請求をこの点で違法とすべき理由はない。

三1  ところで、被控訴人が昭和二九年九月一日控訴会社に対しその当時の延滞賃料を同月末日までに支払うよう催告し、その支払がないときには同日限り本件賃貸借契約を解除する旨意思表示した事実は当事者間に争いがない(成立について争いのない甲第二五号証によれば、右催告にかかる延滞賃料は既に納入告知済みの未払分のうち金七三万二、五八二円二四銭であることが認められる。)。

2  控訴人は被控訴人の右契約解除の主張に対し、被控訴人が本件建物内に多数の賠償機械類を放置し、また、再三本件土地・建物の接収を迫つて控訴会社がその提供を承諾しているのに態度を明らかにせず、ために控訴会社は本件土地・建物内で計画した事業を行なうことができなかつた事情があり、右は被控訴人の責に帰すべき事由による賃借物(本件土地・建物等)の使用不能であるから、控訴会社に右賃借物の使用料を支払う義務はない旨主張し、或は被控訴人の債務不履行を理由とする損害賠償債権と右賃料債務との相殺を主張して右解除の効力を争う。

そこで検討するに、〈証拠〉を総合すると、

(イ)  本件土地・建物・機械は前記のように元海軍技術廠の工場で賠償指定物件とされ、いつ進駐軍によつて接収されるか判らず、また建物の内外に賠償機械類や不要な防空壕防弾壁等の設備があつて、作業の邪まとなり、もともとここで新たな民間工場の操業をするためには相当の困難が予想されたが、戦後の物資欠乏の折から遊休設備を平和産業に活用するという国の方針にそつて、進駐軍の許可を得て一時的にこれらの施設を民間に貸与することになつた。しかし当時国としては貸与外物件を他に搬出し、不要設備を除去整理し、施設を修理することは予算上実施困難な状況にあつたので、現状のままで希望者に貸与することとし、控訴会社は進駐軍からいつ接収になるかも知れないことを覚悟のうえで、自己の費用で右賠償機械類の撤去・移転はもちろん補修・整理・清掃をなすべきことを諒解のうえ借受けたこと(被控訴人が一年以内にこれを撤去するという約束はなかつた。)、そして現に控訴会社は昭和二三、四年頃所轄庁の許可を受け相当の費用をかけてそれらの作業をしたこと(もつともその中には米軍の命令による清掃作業もあり、その費用の代償にスクラップの払下げを受ける約束などもあつた。)、しかしそれでも、建物内の賠償機械類は比較的多くのものが残置され、被控訴人側で撤去・解体したものと並んで、昭和二八年三月三一日までは本件建物のうちM一一二工場には賠償機械類が格納されていて控訴会社で使用可能な面積は43.19坪減の521.93坪、M一〇三工場にも賠償機械類があつてその使用可能部分は371.38坪減の120坪であり、M一一一B工場にはボイラーが格納されていて殆んど使用できず、同年四月以降も右M一一一B工場には同様右機械が格納されていて同工場の使用ができなかつたが、M一一二工場、M一〇三工場、M一一一A工場(M一一一A工場については争いがない)についてはおおかた機械類が除去され、その工場の使用にさして支障はなくなつたこと(被控訴人が右の使用不能の部分にほぼ相応する坪数につき昭和二六年四月一日以降賃料額を減額したことは前示のとおりである。)。

(ロ)  そして、〈証拠〉によると、控訴会社が右のようにして賃借した本件土地・建物につき、昭和二四年暮頃米軍からその一部M一〇三工場とその付近敷地を接収財産として提供するよう終戦連絡事務局を通じて要求があり、控訴会社としてはそれを承諾したが実現の運びに至らず、その後昭和二七年初頃再び米軍から本件土地・建物を含む付近一帯の地域の提供の要求があり、控訴会社は反対の態度を表明しながらも補償額によつてはそれに応じてもよい旨承諾の返事をしたところ、本件土地・建物の両側にある訴外東亜倉庫、同朝日貿易倉庫の両社が右の提供を拒否したため本件土地・建物だけでは土地利用上不都合であるところから結局接収されないままとなつたこと(なお、前記契約解除通知後になる昭和二九年暮頃三たび米軍から接収の問題が提示されたが、控訴会社の多額な補償要求にからんで交渉がこじれ、当時同様操業中でなかつた訴外浜ガラスの会社は妥結のうえ引渡を完了したが、控訴会社については逆に本件明渡訴訟の係争になつたこと)。

(ハ)  更に以上のほか、〈証拠〉によると、控訴会社は本件土地・建物を賃借したのち人工宝石製造業の操業の準備を進め、昭和二四年頃になつてその使用可能な部分で右製造機械を据付け、酸素・水素の各ガスボンベを用いて右人工宝石の製造を始め、その試作品を輪出したものの、コストが高いために営業上の採算がとれず、中止せざるを得なかつたこと、そのため控訴会社は昭和二三年頃復興金融金庫から借受けた約五五〇万円の債務が未払のままとなつて、昭和二六年には遂に訴訟上の請求を受けるに及び、またこの間昭和二四年四月一日以降の本件土地・建物に対する賃料及び昭和二二年九月一日以降の本件動産に対する賃料も全く支払わず、控訴会社において前記の操業その他新事業を始める様子も全くないまま過ぎたこと、そこで関東財務局横須賀出張所長沢崎正夫は昭和二八年七月一五日控訴会社代表者金子靖夫方を訪れ、同人に対し控訴会社による本件土地・建物使用の見込みの有無、未払賃料の支払計画の存否を確かめたところ(この頃M一〇三、M一一二、M一一一A工場の賠償機械類はおおかた撤去されていたことは前記のとおりである。)同人から使用の見込みがあり、未払賃料も支払う旨強い回答があつたので、右沢崎所長は使用計画及び未払賃料支払の予定を提示するよう促すとともに、その際、現時点において接収の可能性はなく、操業の再開と未払賃料の一部金三〇万円程度の支払があれば本件土地・建物の払下げもあり得る旨を示唆し、後日その払下げの大体の売払価格まで内示したこと、この動きに呼応して控訴会社は、早速同年九月二八日右関東財務局横須賀工張所を通じ大蔵省東京財務局長に対し、本件土地・建物に対する同年度分の普通財産貸付申請書に併せて合成宝石製造及び繊維品捺染関係の新事業計画書を提出し(右合成宝石事業は電解槽の納入あり次第操業再開、捺染関係の事業については同年一一月中に着工予定とするもの)、右捺染関係の工事着手に際しては未払賃料を納入する旨の念書も差し入れたが、前記のとおり同年一二月二二日にその一部金三〇万円を被控訴人に支払つたのみで、右工事の着工も、合成宝石製造の操業もしなかつたこと。

以上の各事実を認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分は信用しがたく、また、〈証拠〉中控訴人の主張に副うかのような記載部分は控訴会社代表者の主観に出でたものであつて十分な根拠があるとはいえず、かつ、爾余の証拠関係に対比してもそのまま信用することはできない。更に〈証拠〉による接収補償金差押の事実も昭和二七年頃の米軍の接収が正式決定になつたことを直ちに証明するものとはいえない。なお、〈証拠〉中昭和二八年八月の調査でM一〇三工場の殆んどに未だ賠償機械が格納してある旨の記載があるのは、〈証拠〉に照らし、事実にそわないものと認められる。そして、他に前示の認定を動かすに足りる証拠はない。

以上の事実関係に徴して考えると、本件土地・建物等の賃貸借が始まつた当時、控訴会社は、本件建物内に賠償機械類があつて、それが終戦後の国庫事情から被控訴人(関東財務局)による右機械類の撤去は当分期待し得ず、自らその除去・整理をしなければ使用できない部分があることを承知して本件土地・建物を賃借したもので、本件賃貸借は右趣旨を契約の内容としていたものということができる。従つて、右賠償機械類が容易に撤去されないため、前記のようにM一一二工場、M一〇三工場の各一部が昭和二八年三月まで、またM一一一B工場の殆んどが最後まで使用できなかつたことを被控訴人の債務不履行として責めることはできないし(なお、本件土地・建物内の右使用不能部分にほぼ相当する賃料額が昭和二六年四月以降の分においては請求されていないこと、それ以前の請求賃料は前記催告前に既に支払済みであることは前述のとおりである。)、しかも控訴会社はそれ以外の使用可能部分を使用して人工宝石の製造事業をすることができなかつたわけではなく、仮に控訴人主張のように主力のM一〇三工場、M一一二工場に昭和二八年三月頃までかなりの賠償機械類が残置されていて所期の宝石製造事業が思うようにできなかつたとしても、被控訴人が一年以内にその撤去をするという約束をしたことはなく、必要に応じ借主が自らその費用で除去・整理することが予定されていた以上、右趣旨の完全な使用ができなかつたことをもつて被控訴人の責に帰すべき使用不能ということはできない。

更に本件土地・建物等の接収の問題についてみても、もともと賠償施設であるこれら賃借物についていつ接収の問題が起きるかもしれず、控訴会社の立場は不安定であつたが、それを承知の上で賃借したものであることは、前記の通りであるし、〈証拠〉によれば、他の多くの賠償施設の賃借人は控訴会社と同様の立場にありながら事業を続けていたし、米軍からの財産提供の要求に対して操業中の借主らの同意が得られないものについては強いて接収を強行することもなく、その対象から除外していた事例がかなりあり、接収するとしても相当額の補償が与えられたというのである。かような状況にあつて昭和二四年頃一旦人工宝石製造事業を試みたものの間もなくその操業を止めていた控訴会社に関し、前記昭和二四年暮及び昭和二七年初め頃の二回の右接収交渉において承諾の回答をしたが、被控訴人側の最終的態度が明らかにされず、その都度不安定な状態に置かれたという事実があるとしても、本件のような特殊事情のある賃貸借契約にあつては、賃借人としては受忍するほかはないものというべく、ましてこれをもつて、賃貸人の責に帰すべき事由により使用不能を来たしたものとして賃料支払義務なしということはできない。そして、控訴人主張の昭和二八年における本件土地・建物等払下げ不成功の事実も控訴会社の賃料不払を正当視する事由とはなしがたい。

むしろ、控訴会社は、前記のような賠償指定の財産を借受けるという特殊事情から種々の困難があつて、不運にも事業に失敗し、多額の負債を抱える結果になつて、賃料の支払もできず、事業再開の見込みもないまま、接収の実現による補償を期待して推移していたのではないかと推認されるのである。

そうすると、本件土地・建物の使用不能を理由として被控訴人主張の賃料支払義務を否定し、或は、被控訴人の債務不履行を前提としてそれによる損害賠償債権と右賃料債務との相殺をいう控訴人の主張は採用できない。従つて、右賃料の不払を前提とする被控訴人の前記停止条件付契約解除の意思表示は有効である。

3  更に控訴人は、右契約の解除が信義則に違背し、権利の乱用であつて無効であると主張する。

しかし、叙上の説明に徴して明らかなように、被控訴人の手による賠償機械類の撤去が容易に行なわれなかつたこと、再度にわたる接収に関して被控訴人の最終的態度が不明確なままになつていたことなど控訴会社として困惑した問題があつたにしても、それはいずれも終戦後の貧困な国庫事情と占領軍にかかわりのある賠償施設の貸借という特殊事情に由来するものであつて、これらの問題に関し被控訴人に不信義があるとは認めがたいのみならず、賃料の催告に応じなかつた控訴会社に特に宥恕すべき事情があるとも認められない。そのうえ、右催告にかかる延滞賃料金七三万二、五八二円は本件土地・建物に関する分が昭和二六年四月一日以降約二年間本件動産に関する分が賃借当初から三、四年間にわたるもので、その金額も当時としては決して僅少なものでないことなどを勘案すると、本件土地・建物等に関し操業の準備、整理・清掃等のため多額の投資・出費をしたという控訴人主張の事実を参酌しても、右解除権の行使が信義則に違背し、権利を乱用したものと認めることができず、右控訴人の主張も採用することができない。

四以上によれば、被控訴人の控訴会社に対する前記停止条件付解除の意思表示によつて本件賃貸借契約は昭和二九年九月三〇日限り解除されたものといわなければならない。

もつとも、〈証拠〉によると、被控訴人(関東財務局横須賀出張所)は本件土地・建物につき昭和三一年三月八日付納入告知書により昭和二九年四月一日から昭和三〇年三月三一日までの賃料として金九六万五、一八三円を請求し、また、動産についても同様同期間の賃料として金一八万二、六九一円を請求している事実が認められるが、右の〈証拠〉によれば、それは被控訴人側の事務処理上の誤りで昭和二九年一〇月一日以後の分を使用料相当の損害金とすべきを賃料として納入告知の手続をしたものであつて、かつ、のちに是正されていることが明らかであるから、前記契約解除発効後になされた右納入告知書発送の事実をもつて、控訴人の主張するように、被控訴人が右契約解除の効果を否定し、本件賃貸借契約の存続を承認したものということはできない。その他〈証拠〉など右契約解除後の接収等に関する資料も〈証拠〉に照らし以上の認定、判断を妨げる証拠とするに足りない。

そうすると、控訴会社は被控訴人に対し、本件賃貸借契約の解除に伴う原状回復義務として本件土地・建物(別紙物件目録(一)の不動産)を明渡し、かつ、本件動産(別紙物件目録(二)記載)のうち未だ返還していない52ないし61、64、ないし66を引渡す義務があり、更に後述する未払賃料と使用料相当の損害金を支払う義務がある。

《以下、省略》

(室伏壮一郎 横山長 深田源次)

物件目録(一)、(二)、第一表ないし第五表《省略》

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